2016年9月3日土曜日
2015年12月21日月曜日
第5回 源流の森を歩く
今回で第5回になる源流の森を歩く。
基本的に自分たちが源流から海へと続く水の流れもつながりを意識するためにしている取り組みなので、申し込みがなくても家族で必ず歩くようにしています。今回は前日からお泊まりしてくれていた2家族が参加してくれました。
当日はそれはそれは素晴らしい天気に恵まれました!
いつもの天文台からの眺め。大阪北のビル群や六甲山系、空気の澄んだ日であれば海まで見えます。
人の暮らし方はここ数十年で大きくかわってしまったけれど、この山々が連なる雄大な景色は変わることなくここにあって、何百年も前の人も同じように見ていたのかもしれないねと話しました。
源流の森を歩く前に猪名川の源流を見に行きました。猪名川の源流の1つはなんとキャンプ場の中にあります。表示もないしとてもそっけない場所。
しかもキャンプででたゴミが谷に集まって溜まっているので源流の神々しさみたいなものが微塵ものがありません(;´Д`A
というわけで毎回恒例のみんなでゴミ拾い。こどもたちも大活躍であっと言う間にビニール袋3つ分のゴミが集まりました。
流れている水もチョロチョロで頼りない。でもここから流れはじめた水が大きな川の流れとなって海に注いでいると思うとなにか不思議な気持ちが生まれてきます。こどもたちに話すとピンとはきていなくても同じような感覚はあるみたいですね。
では森を歩きに行きましょう!
今回は夏に参加してくれたみなさんなので、夏の森と冬の森の違いを比べられるので楽しみです。
まずは明るい!そして葉っぱが落ちているから見通しがめちゃくちゃ良い!先に歩いていった子どもたちも丸見えです(笑)
夏はこんな感じでした。葉っぱが日陰を作ってくれてとても気持ちよかった。
大きな岩を見ると登りたくなるのはどうも人のDNAに組み込まれているのかな?(笑)この岩には必ずみんな登ります。そしてここからの眺めも葉っぱがないのですごかったです。
青空をバックに写真をとると、高〜い山の山頂で撮影したみたい(笑)
でもここは尼崎や伊丹から1時間とすこしで辿りつける場所なのです。みんななぜか遠くに良い場所を探そうとしますが、素晴らしい場所というのは案外身近にあるんですよ。
冬の森は歩いていてもいろんな発見がありました。大きな霜柱や
苔たちの作り出す箱庭のような美しい世界。
霜で凍った苔も綺麗。みんなで撫でてみたりしました。
個人的には腐った木の断面が綺麗でした。
枯れている木にキノコが生えて脆くなり風に倒され土に還っていきます。その上に広葉樹が葉を落とし土を覆います。
この葉の下で芽吹きを待つ種たちや虫たちが暖かい春の訪れをいまかいまかと待っているんですね。
そんなことに想いを馳せながら、こどもたちはワイワイいいながら、あっと言う間に折り返し地点の大岩に到着。
この岩はこのトレッキングコースのシンボル的な存在です。
間を通り抜けられたりするので楽しい。何百年も前の人もこの隙間を通ったでしょうか(笑)
コースとしてはまだ先に続くのですが、子どもたちの足とお腹ではここが限界。元来た道を引き返し、お腹がぐーぐーなりまじめるころには最初の天文台に帰ってきました。
12月半ばだというのに暑くて、こどもたちはTシャツでしたσ^_^;
こうして無事に終わった第5回源流の森を歩く。今年はこれが最後になります。
この取り組みを通して、大人には源流から海へとつながる水の流れを意識することで、その流域に起こっている様々なことをひとつの問題として捉え直すことを提案しています。
また子どもたちには鳥のように俯瞰してをものを考えられる力と、想像力やイメージする力を小さなうちから持ってもらいたいというのが目的です。
どうしても目の前に問題が起こったときにはその問題だけを直接対処してしまいがちです。でも目に見えていることというのは実際には氷山の一角のようなもので、そこだけを見て対処しても根本的な解決にはつながらないと思うのです。
いじめ、貧困、ネグレクトなどの町で起こっている問題も、少子高齢化や過疎化、農業の担い手不足といったような村の問題も、それだけを切り取って考えるのではなくひとつの流れの中で捉え直すことで新たな道が開けていくように思います。かまどdeごはんや源流の森を歩くはそのための布石だと思っています。
この取り組みは来年以降も継続していきますので、興味のある方はぜひ参加してみてください。よろしくお願いします。
出口
2015年8月14日金曜日
「第3回かまどdeごはん」と「流域をめぐるエトセトラ・源流の森を歩く」
8月8日に第3回かまどdeごはんと「流域をめぐるエトセトラ・源流の森を歩く」を開催いたしました。
食べることを見つめたときに、ふと思いました。
僕たちは自分たちの身近な場所のものをどれだけ食べているんだろう。
自分たちの住む地域を俯瞰して、鳥の目をもって見渡してみれば、北摂地域というのはとても豊かな自然環境や豊富な田畑に恵まれています。そして下流地域の尼崎や伊丹、中流域の川西などは多くの人たちが暮らしています。
でも、身近にこれほど豊かな自然や環境があるにもかかわらず、自分たちは身近なものをそれほど食べていません。そこに住む人たちが少し意識して、身近なものを食べるだけで、町と村、都会と地方が抱えている多くの問題が解決できるように思います。
そのためのアクションとしてこの取り組みをはじめています。
まずは大野山の山頂までのぼり、そこから自分たちの暮らす街を望みます。澄んでいるときには大阪北区のビル郡や遠くは淡路島まで見渡せる眺望の素晴らしい場所です。
ここを源流とする「猪名川」は、途中神崎川と合流して尼崎市の湾に流れ込む、全長43kmの一級河川です。尼崎市などにいると都会なのでその川の源流というのは意識しづらいのですが、43kmといえばフルマラソンとほぼ同じ、車で走れば1時間30分程度の距離ですから以外に近いのです。
人の距離感というのは不思議なもので、遠い近いという感覚は実際の距離と気持ちの距離の二つによって決められているような気がしています。この気持ちの距離を縮めてもらうことが、今回の取り組みの目的のひとつ。
この日は天気はよかったのですが、遠くは白く霞んでいてはっきりとは見えませんでした。それでも流域をめぐるエトセトラが目指している「この場所が水の始まりであり、ここから流れはじめた水が集まり川となって自分たちの暮らしの側を流れているというイメーを持つ」ということは伝わったようです。
最初から大きな行動を起こす、問題を解決に導くというたいそうなことではなく、ここが自分たちにつながっている場所だというイメージを持って暮らすことが第一歩だと考えています。
ある程度イメージを持ってもらったところで山頂から源流の森へと入っていきます。
今回歩いたのは「岩めぐり」のルート。森林ボランティアの方がとても綺麗に整備してくださっているので、小さなお子さんでも歩きやすいルートです。(この日はとても暑かったのでみなさんヘトヘトでしたが・・・)みんなもっている白い袋はゴミ袋。途中に落ちているゴミを拾い集めながら歩きます。
この森が自分たちの暮らしの側を流れる川の源流という意識のなかで、もっと身近に訪れられる「自分たちの森」と感じてもらえたらと思います。
森に入ると一気に涼しくなって歩くのもとても快適。猪名川町の森は広葉樹が多いので森の風景も多様で季節によって表情を変えてとても綺麗です。いまは夏の青々とした葉に囲まれていますが、春の新緑の季節や、秋の紅葉などのときにはまた違った良さを感じることができます。
このコースは平坦な場所から起伏のある場所までバラエティに富んでいて、大人の背丈を越えるような巨石がところどころに点在するなど、飽きることなく歩くことができます。途中にはオガクロに野菜を届けてくれている「山田屋」の山田くんが畑をしている村が一望できる場所などもあります。
これは夫婦岩という二つの巨石が向かい合っている場所。二つの.石の細い隙間は子どもなら通りぬけることができます。大きな石というのは不思議な魅力がありますね。子どもたちも大興奮で遊んでいました。
最後にみんな大きな石の前に集まってとった写真。今回は大人、子ども合わせて総勢30名の参加となりました。これだけの人たちが参加してくれたことにとても勇気付けられました。
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オガクロの拠点である「わろうだ」は、町と村のちょうど間、すこしだけ村よりに位置しています。
この場所に暮らすことで町と村が抱える両方の問題を比較しながら捉えることができるようになりました。
アスファルトやコンクリートに囲まれた生活の中で、町の人の心は乾き、固くなっているように思います。人がコンクリートや人工物に囲まれた場所で暮らし始めてまだ数十年です。いまでは高層マンションなどが林立していますが、木よりも高い位置で暮らすということは、生物的にはじめての体験であり、経験です。
そのストレスが精神的な不安定さを引き起こし、いじめ、育児放棄などの問題を引き起こしているような気がするのです。ただ、いまの社会環境のなかで町を離れ自然の中で生活するという憧れをもったとしても、それを実現することは容易ではありません。
であれば、身近な自然環境を意識して捉えなおし、活用することで、都会に暮らしながらも心をほぐしていくということはできると思います。ただそれが「週末のレジャー」というような一方的な考え方であるとうまくいかないと思うのです。お互いの想いがうまく循環する状態でないといけない。
外部から入ってきた僕たちにとってはとても魅力的な里山の風景ですが、地元の方々からすると「すでに活用されることが無くなり荒れていく一方の森」という捉え方になります。
今回歩いたコースは森林ボランティアの方々によって整備されていますが、それ以外の場所は経済性という視点からも、生産性という視点からも価値を見出されることなく、そうなると管理する人もなくなり荒れているのです。
都会の人が郷愁を感じる茅葺の家や棚田なども、地元の方からすると管理に手間がかかり、生産性の低いもの、ということになります。都会の人が風景として価値を感じて「残してほしい」と願っても、村の人たちからすれば毎日の暮らしの場ですから、残してほしいと願うのみであればそれはある意味「村の人たちに不便な暮らしを強要する」または「プレッシャーをかけているだけ」ということにもなりかねません。
オガクロがやろうとしているのは、両者のギャップをほぐしながら、日々の暮らしをクロスオーヴァーさせながら支えあう暮らし、循環する地域を実現していくことです。
その試みというのはいままでもいろいろ試されてきてうまくいった事例というのはあまり聞いたことがないのですが、水の流れに沿う、流域という意識を持つ、ということでイメージや意識と具体的な行動がつながっていくのではないかと考えています。
2015年7月14日火曜日
源流の森へ
何か大きな歯車が噛み合いそうな気がして源流の森へ。
時折立ち止まって風が樹々の葉を揺らす音と、そこかしこから聞こえる鳥の声、小さな沢を流れる水の音に耳を澄ましてみる。
ここから生まれた水が僕たちの暮らす里や街の中を流れて海にそそぎ、雨となって森に帰ってくる。
その循環の中に意識的に身を置いて、自分が次にどう動くべきく考えながら森を歩いてみた。
接点をつくるだけでは足りない。クロスすることは必要だけどどうしても平面的。だからといって大きな変化を求めてもうまくいかない。
小さな、見逃してしまいそうな小さな変化がキッカケになって生まれた循環が大きく力強い対流につながっていくんだろうと思う。
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