8月8日に第3回かまどdeごはんと「流域をめぐるエトセトラ・源流の森を歩く」を開催いたしました。
食べることを見つめたときに、ふと思いました。
僕たちは自分たちの身近な場所のものをどれだけ食べているんだろう。
自分たちの住む地域を俯瞰して、鳥の目をもって見渡してみれば、北摂地域というのはとても豊かな自然環境や豊富な田畑に恵まれています。そして下流地域の尼崎や伊丹、中流域の川西などは多くの人たちが暮らしています。
でも、身近にこれほど豊かな自然や環境があるにもかかわらず、自分たちは身近なものをそれほど食べていません。そこに住む人たちが少し意識して、身近なものを食べるだけで、町と村、都会と地方が抱えている多くの問題が解決できるように思います。
そのためのアクションとしてこの取り組みをはじめています。
まずは大野山の山頂までのぼり、そこから自分たちの暮らす街を望みます。澄んでいるときには大阪北区のビル郡や遠くは淡路島まで見渡せる眺望の素晴らしい場所です。
ここを源流とする「猪名川」は、途中神崎川と合流して尼崎市の湾に流れ込む、全長43kmの一級河川です。尼崎市などにいると都会なのでその川の源流というのは意識しづらいのですが、43kmといえばフルマラソンとほぼ同じ、車で走れば1時間30分程度の距離ですから以外に近いのです。
人の距離感というのは不思議なもので、遠い近いという感覚は実際の距離と気持ちの距離の二つによって決められているような気がしています。この気持ちの距離を縮めてもらうことが、今回の取り組みの目的のひとつ。
この日は天気はよかったのですが、遠くは白く霞んでいてはっきりとは見えませんでした。それでも流域をめぐるエトセトラが目指している「この場所が水の始まりであり、ここから流れはじめた水が集まり川となって自分たちの暮らしの側を流れているというイメーを持つ」ということは伝わったようです。
最初から大きな行動を起こす、問題を解決に導くというたいそうなことではなく、ここが自分たちにつながっている場所だというイメージを持って暮らすことが第一歩だと考えています。
ある程度イメージを持ってもらったところで山頂から源流の森へと入っていきます。
今回歩いたのは「岩めぐり」のルート。森林ボランティアの方がとても綺麗に整備してくださっているので、小さなお子さんでも歩きやすいルートです。(この日はとても暑かったのでみなさんヘトヘトでしたが・・・)みんなもっている白い袋はゴミ袋。途中に落ちているゴミを拾い集めながら歩きます。
この森が自分たちの暮らしの側を流れる川の源流という意識のなかで、もっと身近に訪れられる「自分たちの森」と感じてもらえたらと思います。
森に入ると一気に涼しくなって歩くのもとても快適。猪名川町の森は広葉樹が多いので森の風景も多様で季節によって表情を変えてとても綺麗です。いまは夏の青々とした葉に囲まれていますが、春の新緑の季節や、秋の紅葉などのときにはまた違った良さを感じることができます。
このコースは平坦な場所から起伏のある場所までバラエティに富んでいて、大人の背丈を越えるような巨石がところどころに点在するなど、飽きることなく歩くことができます。途中にはオガクロに野菜を届けてくれている「山田屋」の山田くんが畑をしている村が一望できる場所などもあります。
これは夫婦岩という二つの巨石が向かい合っている場所。二つの.石の細い隙間は子どもなら通りぬけることができます。大きな石というのは不思議な魅力がありますね。子どもたちも大興奮で遊んでいました。
最後にみんな大きな石の前に集まってとった写真。今回は大人、子ども合わせて総勢30名の参加となりました。これだけの人たちが参加してくれたことにとても勇気付けられました。
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オガクロの拠点である「わろうだ」は、町と村のちょうど間、すこしだけ村よりに位置しています。
この場所に暮らすことで町と村が抱える両方の問題を比較しながら捉えることができるようになりました。
アスファルトやコンクリートに囲まれた生活の中で、町の人の心は乾き、固くなっているように思います。人がコンクリートや人工物に囲まれた場所で暮らし始めてまだ数十年です。いまでは高層マンションなどが林立していますが、木よりも高い位置で暮らすということは、生物的にはじめての体験であり、経験です。
そのストレスが精神的な不安定さを引き起こし、いじめ、育児放棄などの問題を引き起こしているような気がするのです。ただ、いまの社会環境のなかで町を離れ自然の中で生活するという憧れをもったとしても、それを実現することは容易ではありません。
であれば、身近な自然環境を意識して捉えなおし、活用することで、都会に暮らしながらも心をほぐしていくということはできると思います。ただそれが「週末のレジャー」というような一方的な考え方であるとうまくいかないと思うのです。お互いの想いがうまく循環する状態でないといけない。
外部から入ってきた僕たちにとってはとても魅力的な里山の風景ですが、地元の方々からすると「すでに活用されることが無くなり荒れていく一方の森」という捉え方になります。
今回歩いたコースは森林ボランティアの方々によって整備されていますが、それ以外の場所は経済性という視点からも、生産性という視点からも価値を見出されることなく、そうなると管理する人もなくなり荒れているのです。
都会の人が郷愁を感じる茅葺の家や棚田なども、地元の方からすると管理に手間がかかり、生産性の低いもの、ということになります。都会の人が風景として価値を感じて「残してほしい」と願っても、村の人たちからすれば毎日の暮らしの場ですから、残してほしいと願うのみであればそれはある意味「村の人たちに不便な暮らしを強要する」または「プレッシャーをかけているだけ」ということにもなりかねません。
オガクロがやろうとしているのは、両者のギャップをほぐしながら、日々の暮らしをクロスオーヴァーさせながら支えあう暮らし、循環する地域を実現していくことです。
その試みというのはいままでもいろいろ試されてきてうまくいった事例というのはあまり聞いたことがないのですが、水の流れに沿う、流域という意識を持つ、ということでイメージや意識と具体的な行動がつながっていくのではないかと考えています。
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