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2015年10月31日土曜日

けせら畑の開放日&かまどdeごはん

今日はけせら畑の開放日からのかまどdeごはんでした。とても充実した内容の濃い1日になりました。


今日は開放日日和!まだすこし朝の空気が残る時間に集合しました。
 


まずは松岡くんから畑を取り囲む地形や川の流れ、畑の中の水の動きを説明してもらいます。松岡くんの目指す大地の再生の第一歩は広い視野で土地を捉え直しイメージすることから始まります。

このことで目の前のことしか見えていなかった状態から一気に視野が広がって、地図を俯瞰しながらいま立っている畑を眺めるような感覚になりました。この部分は今回の開放日の中でも僕にとって非常に重要なポイントでした。



それから畑のディテールを観察しながら歩きます。小さな畑の中でも小さな変化の連続で成り立っているので、場所によって環境がまったく違っていることがわかります。




そのなかでも特に重大なのがこの道路。

北から南にはしる谷に沿って水が流れている動きのなかで東西に走る道路とコンクリートの壁や側溝が水脈を寸断してしまっています。



上の写真は道路のすぐ北側の畑。

写真ではわかりにくいですが、道路の上流側に穴を掘っています。その深さ1m以上。その穴に水が湧いてきます。ポンプで排水しても毎日満水になるぐらい水が溜まります。まるで井戸。 

地下水位が高いということは、水の好きな植物は別として、空気を好む植物の根や好気性の菌が息ができずに死んでしまうことにもつながります。

道路が水の流れを遮ってしまうことで畑の植物の成長にすごく影響がでるということですね。



すでに作られてしまっている道路自体はどうにもならないですが、目の前の問題だけに囚われて対処するのではなく、大きな視野と流れの中で問題を意識し、より良い状態になるように手を施していくというのが松岡くんのやり方。

この考え方は畑だけではなく様々なことに当てはまると思います。そのことは貧困や子どもの食、食べることを見つける「かまどdeごはん」の中でも話し合われたので、またリポートします。



水が溜まってしまい窒息気味の畑が息が出来るように、ポイントポイントに小さな天穴を掘っていきます。

こうすることで高いところから低いところへ水が流れ、同時に空気が取り込まれていくという仕組みです。



一通り説明を受けた後、参加者はそれぞれペアになって、思い思いの場所に穴を掘ります。その場所の土の状態や草の状態を触ったり、また匂いなども含め五感をフル活用して捉えながら進めていきます。



場所によって乾燥しているところ、水が溜まって重粘土のようになっている場所など様々。とくに酷い粘土の場所はヘドロのような匂いがしました。そのような状態をグレー層というそうです。そういう場所にも空気を通すための穴を掘っていきます。



穴を掘るとそこに空気と水の流れが生まれるわけですが、このままでは雨が降れば土が集まってきてすぐに穴は塞がってしまいます。

ここで自然の摂理を活用します。
自然は水の流れで小枝や草などを運んできて穴に落とします。それらが複雑に絡み合うことで櫓のようなものを作り穴を保護することで空気の流れを保ちます。その作用をこの場所に再現するのです。







上の三枚の写真は穴を保護しているところ。畝の間を水が流れ、自然に組み上げられていくことをイメージしながら枝や草を差し込んでいきます。まるで落とし穴を作っているみたいで楽しかった!ここで今日の畑の開放日は終了ー。

レポートは出口の視点から書きましたが、みなさんそれぞれの関わり方、楽しみ方で充実した時間を過ごしてくれたようです。

子どもたちはもっぱら虫とりと粘土遊びに夢中でしたが(笑)




さて、このあとは猪名川町のわろうだに移動して「かまどdeごはん」です。

かまどdeごはんにつづく











2015年7月17日金曜日

第3回かまどdeごはん、けせら畑の開放日。そして源流の森を歩く。

第3回かまどdeごはんの日程が決まりました!8月8日土曜日に開催します^o^





かまどdeごはんは今回もけせら畑の開放日と一緒に開催します。そしてもう一つ、流域をめぐるエトセトラの一環として「猪名川源流の森を歩く」を開催します。

全部参加するとお昼前から夜まで盛りだくさんな内容ですが「食べること」をめぐる一環した流れを意識してみたいと思います。

空きがあればそれぞれ独立して参加も可能です。お問い合わせください。

◼︎流域をめぐるエトセトラ
「猪名川源流の森を歩く」






猪名川町から川西市、池田市、伊丹市、豊中市、尼崎市を流れる一級河川「猪名川」の源流を訪ね、その森を歩きます。

川の流れに沿って意識をつなぐことで、森、里、街、人がお互いを尊重しあいながら暮らしを営むことができる地域がうまれたらとずっと考えています。

源流の森は保護者と一緒なら5歳ぐらいの小さな子どもでも楽しく歩けるコースです。360度のパノラマから山々が波のように連なる山頂から、明るい森の中を歩き、途中には不思議な巨石群などもある楽しいコースです。



この森から生まれた水を自分たちは日々の暮らしに使っているんだなぁと意識するだけでも日々の暮らしに変化があるかもしれませんね。



当日はゴミが落ちていたら拾い集めながら歩きたいと思います。袋をひとつ持ってきてください。

◯源流の森を歩く
時間:11:00にわろうだに集合14:00ごろまで。
お昼:お弁当持参してください。山頂で食べたいと思います。
参加費:無料
※保険などには入っていませんので、自己管理をお願いします。

◼︎けせら畑の開放日



源流の森を歩いたあとは、けせら畑に移動してけせら畑の開放日に参加します。

けせら畑の松岡くんは大地の再生をテーマに畑に向き合っています。土の中の水や空気の流れを考え、人が起こした行動が大地にどのような影響を与えるのかというようなことを聞くことができます。
源流の森で得たこととの共通点などもありそうなので楽しみにしています。

◯けせら畑の開放日
時間:15:00-16:30を予定
持物:長靴、長袖、帽子、虫除け、飲料水等畑作業に必要なもの
参加費:一家族500円

◼︎かまどdeごはん 食べるを見つめる日




1日の最後はかまどdeごはん。
かまどを使って薪でごはんを炊いて、けせら畑で収穫したやさいや、オガクロがお付き合いのある農家さんたちの野菜をみんなで調理して一緒に食べます。

食べながら今日体験してきた森や畑のこと、自分たちの暮らす町のこと、食べることなどについてみんなで話し合えたらと思います。

1日とても長いですが、森や里のこと、村や畑のこと、町の暮らしのことをひとつの流れとして感じることで、どんな意識を持つこたができるのか体験してみたいと考えています。

かまどdeごはんはありがたいことに毎回多数の参加希望をいただいています。ただ、参加者同士がしっかりと対話できることを重視したいので定員は8家族程度とさせていただきます。

参加ご希望の方はオーガニッククロッシング出口までお問い合わせください。

2015年7月11日土曜日

第2回かまどdeごはん けせら畑の開放日

第2回かまどdeごはん&けせら畑の開放日

先月に続き、第2回目の「かまどdeごはん」「けせら畑の開放日」を開催しました。
今回は前回とはまったく違った新しい参加者のみなさんと開催しました。
 
 
「かまどdeごはん」はみんなでごはんを食べながら「食べる」ということを見つめなおしてみよう、という主旨で開催しています。

いつも文章が長い!と注意されるのですが、今日得られたことを踏まえて改めてかまどdeごはんの主旨を書いて書いておきたいと思います。

八百屋で働きはじめた10年前から、農と暮らしをつなぐためにはどうすればいいか、ということをずっと考えてきました。農家さんと食べる人の間に立って、いったいなにができるんだろう、と自問自答してきました。その明確な答えがでることなく起こった東日本大震災。
 

いままでの価値観や常識が全てくつがえされていったい何をしたら良いのかわからない日々が続きました。そのなかで動いた東北への食糧支援のなかで被災して避難所で暮らしていたおばあちゃんが僕に語ってくれたことがひとつの答えを教えてくれましたように思います。

「毎日配給されるパンや冷えたお弁当ではお腹は満たされても力がわかない。でもあんたたちは遠くからこんなところまで食事を作りに来てくれている。その気持ちと温かい食事をいただいたら明日もがんばろうっていう気持が湧いてくるよ、ありがとう。」
 
この言葉に込められた意味を何度も思い返しています。
 

もうひとつの答えはオーストラリアのアボリジナルの人たちの村を旅していたときにもらいました。町から数百キロも離れたコミュニティに訪れたときのことです。その村は町からとても離れているため食料に乏しく、村の人が日々食べていくだけの食料しかありませんでした。

でも僕たちが村を訪れたとき、村の人たちはとても歓迎してくれて、貴重なごはんとコンビーフを出してくれました。冷えたごはんにコンビーフ。普通に考えたら粗末でとても美味しいとうに思えない食事ですが、そのごはんの美味しかったことといったら!!村の人たちの気持ちが嬉しすぎて、涙がでそうになりながらありがたく頂きました。それが僕が食べたいままでで一番おいしいごはんの記憶です。

食べるというのはたんに「お腹を満たす」ということが重要なのではなく、「心が満たされる」ということが重要なのだと思うのです。それは良い食材を使っているから、とか技術に裏づけされているから、とかそういうものではないと思うのです。
 

僕たちが生きている今の世の中は食べるものに溢れています(溢れているように見えるともいえますが)。でも心まで満たされる食事というのはそのうちどれぐらいあるのでしょうか?そもそも心が満たされる食べものとはどんなものなのでしょうか?どんな豪華な食事でも救えない命が、たった一個のおむすびで救えることだってあると思うんです。
 
そんななか、妻が子どもの貧困に関心をもち、大阪子どもの貧困アクションという団体の食べられない子どもたちに無償で食事を提供するCPAO食堂という活動を教えてくれました。団代の代表の方は社会のはざまで苦しむお母さんたちにキメの細かいケアを行いながら、多忙な日々のなかで日々の食事を満足に食べられない子どもたちのために食事を作り続けています。そのことの果たす意味は計り知れないように思います。八百屋としてそこに野菜を継続的に届けていきたい。

食べることの意味、食べられることの喜び、心も身体も満たされる食事とはなんだろうか、そういうことを食べる人も、育てる人も、届ける人も、町の人も、村の人も、山の人も、海の人も、さまざまな人たちが共有しながら具体的な活動につなげていくための機会として「かまどdeごはん」があるような気がしています。
 
 
さて本当に長くなりましたが今日の様子です!
 
あまりの晴天に気温がぐんぐんあがり、途中は熱中症の危険を感じるぐらい暑い一日になりました。かまどの前はさらに暑く、噴出した汗が止まりません!!
 
それでもかまどでごはんを炊きます。なぜか。いくつか理由があります。
 
一つ目はもちろん美味しい!

かまどと薪、鉄釜で炊いたご飯はとにかく美味しいです。
 
二つ目はとても楽しい!
 
暑くてもかまどでごはんを炊いたり、野菜を蒸したりするのは楽しいです。
何度やってもワクワク感があるし、出来たときの感動もあります。
 
そして三つ目、それはいざという時にもなんとかなる!できる!です。
電気機器やメモリに頼っていてはいざというときに動けなくなってしまいます。でももっともプリミティブな方法を知っていればいざというときにその知識や技術が生きてくると思います。これは旅の経験や東日本大震災からの教訓です。
 
だから暑くてもかまどでごはんを炊きます(笑)
今日炊いたお米はありがとんぼ農園さんの自然栽培ササニシキ。
 

もちろん、お米自体のおいしさは言うまでもないのですが、鉄の羽釜で炊いたごはんはそれにしても美味しい!!炊いたあとのお米の輪郭がはっきりとしていて、お米の持つ甘みや香りがはっきりわかります。羽釜というのは先人たちの素晴らしい智慧と経験の結晶だとつくづく思います。
 
同時進行で大きなセイロを使っていまが旬の野菜を蒸していきます。
今日はこのあと畑を訪れるけせら畑さんがさっき収穫してくれた黄色いズッキーニやモロッコインゲンがたっぷりと入りました!農家さんを前にしてその方が育てた野菜を食べるというのはやはり何かが違います。
 
毎回野菜の内容や見た目が変わるのも楽しみの一つ。今回はなんかゴーカイな蒸し野菜でした(笑)
 
食べた後はこの取り組みの主旨でもある「食べる」を見つめる時間をとりました。
 
年代も、職業も、この取り組みに参加したキッカケや動機もバラバラの参加者のみなさん。話のキッカケは子どもの貧困というところからはじまりましたが、それは今の社会の持つ問題の一面であるけれども問題の本質はもっと深いところにあるのではないか、という展開になりました。
 
 その一つが流れやつながりを分断されすぎていることが根底にあるような気がするという話がでました。それは町と村でもそうだし、畑と食卓でも同じようなことがいえると思います。
 
参加者の方に尼崎で子ども食堂を立ち上げた方がおられました。その人たちは最初は子どもたちを対象として考えていたのですが、フタをあけてみるとおじいちゃんおばあちゃんのグループから団体の申込があったそうです。あわてて主旨を説明しに走ったそうですが、結果的にそのおじいちゃんおばあちゃんたちが参加してくれたことで、世代を超えた交流の場が生まれ、とても良い会になったと言っていました。

そういう交流があまりないという現状も分断された社会の一面なのかもしれません。ハプニングから生まれたその結果にこれからのヒントが含まれているような気がしました
 
けせらの松岡くんは「こうやって一つの場に町からも里からもいろいろな人が集って話をできるということ、お互いの考えを共有できること自体がとても素晴らしいことだと思う」と言っていました。
 
松岡くんは自然農で少量多品種の野菜を育てています。ただ他の農家さんと違うのは畑を通して暮らしのつながりを取り戻すことに重きを置いている、ということでしょうか。綿の種を蒔いて綿をとり、紡いで糸に、そしてその糸を布にして、最後はガマ口の財布を作る、というような取り組みをしています。
 
それも分断されてしまったつながりを取り戻す行為の一つです。話がある程度落ち着いたところで、その実践の場であるけせら畑へみんなで向かいました。
 
 
畑に着くころには肌で感じる風が心地よい気温になっていました。

 
今日のけせら畑の開放日は、農作業らしいことはなにひとつしませんでした。みんなでしたのは畑や土やそこに生きる生き物の営みや動きを感じてみるという作業。
 
 
人が起こした小さなアクションがどういう風に畑の土や水の流れや風の動きに影響を与えるのか。このあたりのことを言葉で説明するのはとても難しいと思うのですが、実際に松岡くんの畑に立って見ると以外にすんなりと入っていくことができます。参加者のみなさんもそれほどの戸惑いもなく、とても自然にそれぞれが畑と向き合うという時間を楽しんでいました。

 
土を掘るのを楽しむ人、野草を集める人、風の草刈を教わる人、かえるやミミズを捕まえて喜ぶこどもたちなどなど。そのなかでも多数の人が夢中になっていたのが「種拾い」です。松岡くんは種を採るという循環を大切にしているので、自家採種に力を入れています。
 

このえんどうも自家採種している種のひとつ。畑には採りきれなかった種がたくさん落ちていました。写真の種などは綺麗に並んで落ちていました。それらを拾い集めてみるとかなりの量になりました。みなさんそれを家に帰って蒔いてみるそうです。うまく育つとよいですね!
 
最後は今日一日を振り返って一言ずつ感想をいただきました。みなさんそれぞれ自分のフィールドに照らしながら今日得られたものを話してくれてとても嬉しかったです。
 
そのなかで今日という一日がとても非日常的だった、という感想がありました。でも考えてみれば日常と非日常は紙一重です。今日日常だと思っていたことが明日には非日常になっている可能性だって十分あります。だから常に心と身体をほぐしながらいろいろな状況に対応できる幅の広い視野を持つことが大切なのかもしれませんね。
 
そしてその間にある壁が取り除かれて暮らしの一部になったときに、とても良い流れや循環が生まれてくるように思います。そのためにもオガクロが八百屋としてできることがまだまだたくさんあるなと感じた一日でした。
 
参加してくださったみなさんありがとうございました!

オーガニッククロッシング 出口