昨日、ぶどう会に届ける野菜とともに、大阪子どもの貧困アクショングループが運営するCPAO食堂に送る野菜を準備していました。
大阪子どもの貧困アクショングループに送っている野菜は、オガクロが信頼する農家さんたちが育てたものです。
その野菜を購入する費用は、食べることを考える会である「かまどdeごはん」に参加していただいたみなさんからの寄付によって賄っています。
届けた野菜はCPAO食堂のスタッフのみなさんが、温かい食事という形で食べることに困窮している子どもたちのもとに届けてくれています。
震災以降見つめてきたあるべき食の流れであり、流通の仕事のあり方、食べることを通じたセイフティネットのひとつの形なのではないかと思っています。
先日身近な人から普通の八百屋ではないオーガニッククロッシングの本質的な部分はなんなのか、と指摘されました。そのことについて少し書いておこうとおもいます。
いま日本では
子どもの約6人に1人、1人親の世帯では2人に1人が貧困状態にあると言われています。(25年度内閣府資料で14.6%、1人親の場合50.8%)
毎年2万人以上の人たちが自らの命を絶っています。(内閣府資料によると平成26年度は25427人)
東日本大震災の影響をうけて4年半が経過した現在でも19万人近い人たちが避難生活を続けています。(復興庁資料では198513人)
福島第一原発の事故は収束するどころか、いまだメルトダウンした核燃料の状態を確認できるところまでたどり着けていません。大雨が降るたびに放射性物質を含んだ水が海に流れ出ています。
毎年自然災害が頻発しています。先日の豪雨や堤防の決壊、昨日の関東直下地震、今日は阿蘇山が噴火しました。もういつどこで何が起こっても不思議ではない。
ほかにも日本が抱えている深刻な問題は多岐にわたっています。
そんな中、国会では「平和安全法制」と銘打たれた特別審議が今日も行われ、その必要性は他国からの武力攻撃に対して国民の命や平和な暮らし、財産を守るためだと声高に語られています。
これがいまの日本に本当に必要な議論なのでしょうか?他国からの武力攻撃を受けるなどということを想定する以前に、考えなければいけない、何とかしなければいけない問題は国内にあると僕は思います。
日本は武力攻撃を受けなくてもすでに「存立危機事態に陥りかけている」のだと認識する必要があると思います。
オガクロがフィールドとする食の環境だけをとりあげても問題は山積みです。
日本は自国に暮らす人たちの食べるものを自給できていない国です。
国を家庭という小さな単位に置き換えて考えてみるとわかりやすいと思います。
家庭の中でどれだけの食べ物を身近な地域、信頼できる農家さんから得られているでしょうか?
輸入された食品が多かったとすれば食料の輸入がストップしてしまったら、どうやって食べものを得るのでしょうか?食べるものがなかったときに人はどのような行動にでるでしょうか?自分たちの食べるものを自分たちの地域で得られないとなればどこかから奪うという方向に向かうことは容易に想像できます。
そんなのは非現実的な話だ、と言う人もいるかもしれませんが、僕にはいまの世の中の仕組みや動きの方が非現実的に見えてなりません。
日本をどうにかしたいと思うなら武力攻撃をするよりは食料の供給を止めた方がよほど効果的だと自分なら思うからです。想像してみることは大切だと思います。
オガクロは信頼できる身近な農家さん、これからを担う農家さんから野菜を預かり、コミュニケーションのとれる対面販売という形で食べる人たちに届けています。
それはお互いの信頼関係の中で日々の暮らし、食卓が満たされていくことを目指しているからです。存立危機事態にある日本の中で、ごく小さな単位ではあるけれども本当に必要な食の安全保障だと考えています。
流域というものをひとつの単位として取り上げ、その中で食の地方自治を実現したいと思い動いているのもその考え方があるからです。
食べるものを買っている、買えるという意識であれば、お金がただの紙切れになってしまうような万が一の事態のときに食べ物を得ることはできないでしょう。
でも、対等な信頼関係の中で感謝の気持ちをお互いに持ちながら対価交換に近い形で食べるものを得ているならば、万が一の事態のときにも支え合う、分け合うという考え方が生まれてくるように思います。
この仕組みを形にしていくためには地道な活動が必要だし長い時間がかかると思います。でも一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。
※9月15日に一部補足、訂正を加えました。
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