2016年6月22日水曜日

流域をめぐるエトセトラ 中編「雨の森と水の流れ」


雨は森に降って川になり、里を流れ、田畑を潤し、村を抜けて街に至り、そして海へ流れ込んだあと、雲になって再び森に雨を降らせます。

人為的に作られた区切りを超えて、川とその水を共有している人たちがお互いのことを想い支えあいながら暮らしていけたら。

そのことをより深く感じるために、今回の源流を歩く日に雨が降ったのではないか。そのように感じるほど雨のブナの森は素晴らしく、また水のことを考えるとても大切な体験になりました。

前篇に引き続き中編では雨の森と水の流れについて書きたいと思います。

時折激しく降る雨がブナの葉を叩く音が森にこだましています。バラバラと落ちてくる雨を受けながら上を見上げると大きな幹を伝って水が流れ落ちてくるのが見えました。


その水量はかなりのもので、幹に手を添えるだけでまるで湧き水を汲むように水が手の中へと流れ込んできます。子供たちも「すごーい!」といいながら手に水を溜めて遊んでいました。
 

その様子を見ながらあることに気づきました。ブナの幹にはこれほど水が流れているのに、そばにある杉やカシの木の幹にはまったく水が流れていないのです。


上の写真は杉。下がカシです。同じ時間、同じ場所ですが幹は乾燥しています。


なぜブナの幹だけ水が流れているのだろう?と不思議に思いました。

あらゆる生き物は長い時間の中で暮らす環境に適応するように姿形を変えてきています。僕は学者ではないのではっきりと断言できるわけではありませんが、ブナの木だけが水を集めるという特徴を持っているのなら何かしらの意味があるのだろうと思います。

調べてみるとブナは「緑のダム」と呼ばれるほど根の下に水を溜めることができるのだそうです。そのため葉や枝に降った雨水を集めて根元に流しているのでは?と想像してみました。

幹を伝いまるで小さな滝のように渾々と流れて落ちていく雨水ですが、根元に流れた水はそこに溜まることはありません。


落ち葉が積もってできた腐葉土がまるでスポンジのようになっていて、流れてくる水をどんどんと吸い込んでいきます。この何層にも折り重なった腐葉土が、フィルターのようになって水の不純物を取り除き、逆に土に含まれているミネラルなとの栄養素を取り込みながら川へと流れていくことになります。

この様子をみながら、ある自然栽培のお米農家さんが話してくれたことを思い出しました。

彼は無肥料でお米を育てるという挑戦の中で、時間をかけた試行錯誤の結果、山から流れてきた水を田んぼに掛け流しにしたそうです。そうすることでいままであまり実ることのなかったお米が豊作になったそうです。
その要因が山からの水を掛け流しにしたということだけに由来するとは思いませんが、要因の一つであることは間違いないのではないかと思います。

農家さんたちが雨水のことを「天水」と呼び大切にしているのは、雨水が栄養豊富であることを知っているからなのだと思います。水道が普及した現代でもため池の水や川の水を使う農家さんがたくさんいることも頷けます。


ブナの森に雨が森に降る、ということはその言葉以上の意味を持っているのだと思います。今回の体験でそのことがすこしわかったような気がしました。

現実にはブナの森一部地域を除いてはほとんど残っていませんし、落葉広葉樹の森も地域が限られています。実際に雨が降るのは杉や檜の森の場合が多いと思います。

広葉樹の葉は微生物が繁殖しやすくすぐに分解されて土に還り、スポンジのような腐葉土を作っていきます。しかし杉や檜の葉は土中の微生物を抑制する働きもあるようで腐りにくく、なかなか土に還ることができないそうです。


結果として杉や檜の森は保水力の低い森になってしまい、降った雨は時間をかけて濾過されたり、栄養素を含むこともなくすぐに川に流れ出してしまうということになります。

このようなことからブナや落葉広葉樹の森が失われ、杉や檜の森が増えてきたことが流域に与えている影響は計り知れないと感じます。

またそれだけではありません。森をでてすぐに感じたことがあります。写真は山を降りる道路です。


ブナの森の中では強い雨が降っても浸透していくため、足元が水浸しになっているような場所はありませんでした。ところが道にでた途端、浸透することができず行き場を失った雨水が流れとなって道を削りながら低い方へと向かっていくのがはっきりとわかりました。


ところによっては水が集まりながら道を削り、濁った川のようになっていました。

これはただこの場所だけで起こっている現象ではないように思います。いうなればここで見ていることはまさにいま流域で起こっていることなのだと感じます。

ここ最近の雨の降り方はすごいものがあります。つい先日も地震で傷ついた熊本や大分を中心とした地域に場所によっては1時間に150mmの雨が降ったと報道されていましたし、流域の池田市などでも50mmを超える猛烈な雨が降っています。

このような雨が保水力のない森に降ればどうなるでしょうか。数年前の福知山での水害や、昨年の常総市で起きた堤防の決壊などの災害、丹波や広島の土砂崩れなどの災害も、山の保水力不足と密接に関係しているのではないかと想像できます。

人は治水として川を堰き止めるようにコンクリートの壁を作る、というようなことをします。でも想像してみてください。浸透することなく増え続ける水の流れを堰き止めることはこの幅20cm弱の小さな川でも難しいはずです。それは幅20mの大きな川でも同じことだと思うのです。

人が長い時間をかけてやってきたことの結果として今があります。目の前のことだけを見て対処療法をしていっても限界があります。もうすこし根本的な問題に目を向けなければいけないこと森が教えてくれているように感じました。


猪名川の源流にあるブナの森は小さな小さな森です。ただ豊かな森の姿を知ることのできる残された森です。この森を大切にしながら、そこから何を学び、どう暮らしていくのか。流域をめぐるエトセトラとして考えていきたいと思っています。

最後、後編はけせら畑のみそのたね蒔きのことを書きたいと思います。けせら畑の松岡くんが取り組んでいる畑の有り様は、まるで小さな森のようでした。

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